これは朗話か悲話か…… [ヤコブへの手紙]

2009年 フィンランド

あらすじ

 殺人の罪で終身刑のレイラの元へ弁護士が接見にきた。恩赦で出所が認められたというのだ。さらに用意周到に住み込みの仕事も用意されていた。牧師館で独り暮らしているヤコブ牧師の世話係だった。

 罪人として生涯を終えるつもりだったレイラにとって、それは迷惑な話だった。しかし出所したレイラに選択肢はなかった。身内は姉しかいなかったが、押しかけて迷惑をかけるわけにはいかなかった。

 牧師館は古く朽ちかけていた。牧師は盲目だった。牧師からは、自分のところへ送られてくる相談の手紙を読み上げ、返事を口述筆記してくれれば良いと言われた。それまでは隣人に頼んでいたが、年老いて施設に入ってしまったというのだ。レイラは、牧師が憐憫の情から自分の恩赦を申請したのだと思った。そして、それは牧師の自己満足にしか思えなかった。

 牧師の元には毎日のように相談の手紙が届き、牧師はそれに対して丹念に返信していた。レイラは牧師の行いが偽善としか思えなかった。その手伝いをさせられることに耐えられないと思ったレイラは届いた手紙の束を捨ててしまった。

 返信が途絶えたためか、やがて相談の手紙は1通も届かなくなってしまった。それとともに牧師は塞ぎ込むようになり、日に日に衰弱していった。牧師はレイラに「今まで自分は神のために役立っていたと思っていたが、単なる自己満足だったのかもしれないと思うようになった」と心中を明かした。

 さすがのレイラも、牧師の生き甲斐を奪ってしまったことに罪悪感を感じ、郵便が届いたふりをすることにした。実際には手元にない手紙を読むふりをしてレイラが語り出したのは、自分のことだった。子供の頃から母親から虐待を受けていたレイラを守ってくれた姉のこと、その姉が夫から虐待されている現場を目撃し、怒りに我を忘れ姉の夫を刺殺したこと、ずっと守ってくれていた姉を助けようとして、姉の大切な夫を奪ってしまったこと。レイラの胸中から溢れ出た懺悔を聞いた牧師は、家の中から手紙の束を持ってきてレイラに手渡した。それは、レイラの姉が牧師に宛てた手紙だった。姉はレイラの無事を心配して幾度となく牧師に相談していたのだ。牧師がレイラの恩赦を申請したのは姉の頼みだったのだ。

 そして、レイラの魂を解放することが最後の仕事であったかのように、牧師の命は潰えるのだった。

感想

 物事というものは一面的ではなく、別の側面から見ると真逆の様相を呈するものです。例えば、ヤコブ牧師が言うように、人々の相談を受けて助言することは、相談者に救いを与えているという一面がある一方で、牧師が自己の存在理由を確認する機会を与えられているという一面もあります。物心ついてから聖職者となることは宿命だと信じて疑わず、その道を歩んできたヤコブ牧師には実はこの観点が脱落していたのかもしれません。しかしレイラによって、自分も他人に依存しなければ生きていけない普通の人間なのだということに気付かされたのではないでしょうか。牧師にとって、その気づきは必要だったのでしょうか。私は必要ないと思いました。非常に片面的で偏っていたとしても、自分は神の僕だと信じて疑わなかったからこそ、彼は聖職者たり得たと思うからです。

 一般的には、レイラの魂を解放してこの世を去った清貧の聖職者の話ということになりますが、別の角度から見ると、レイラの吐く猛毒で失意のまま死んでしまった清貧の聖職者の話とも言えます。映画もまた、視座によって様々な様相を呈するところが面白いですね。 

 75分の短い尺で、無駄なく最小限の描写で主題を語り尽くした良作でした。

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