窃盗はモノの奪う犯罪ではない、被害者の人生を奪う犯罪なのだ [自転車泥棒]

1948年 イタリア

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あらすじ

 不況で失業者が溢れるイタリア。

 アントニオ・リッチも職安に通っていた。そして幸運にも仕事にありついた。それも市役所の仕事だった。自転車で仕事に行けることが条件だった。アントニオは生活費のために自転車を質に入れていたが、妻のマリアが家中のシーツをかき集めて質入れし、その金で自転車を取り戻した。希望に胸溢れさせリッチは意気込んで出勤した。

 アントニオの仕事は自転車で移動しながら街頭にポスターを貼ることだった。初めての仕事に悪戦苦闘しているうちに、窃盗団の一味に大事な自転車を盗まれてしまった。アントニオは走って犯人を追いかけたが、自転車に追いつくはずもなく見失ってしまった。

 翌日リッチは、幼いながらもしっかり者の息子のブルーノとともに盗品が売買されている市場に出かけ、自分の自転車を探した。そして途中奇跡的に若い男が自分の自転車に乗っているのを目撃したが、またもや取り逃がしてしまった。その後も、僅かな手がかりを追って探し回ったが、万策尽きた。

 途方に暮れるアントニオの目に街中に溢れる自転車が映った。それを見て魔が差したのだろうか。アントニオはブルーノに先に帰るよう命じると、路肩に無造作に停められていた自転車を盗んだ。しかしなれない仕業がうまくいくはずもなく、あっという間に通行人たちに取り押さえられてしまった。男達は警察に突き出すべきだと騒ぎ立てた。しかし、その自転車の持ち主は、騒ぎを聞きつけ父の元に戻ってきた幼いブルーノの姿を見て見逃してやるのだった。

 人間として、そして父親としての尊厳を失ったアントニオは、胸中に湧き上がる様々な感情に耐えきれず、ただただ涙を流すしかなかった。

感想

 失業が死に直結する。そして、その危機にさらされる可能性がごく稀ではなく、ごく一般的だった時代の話です。その「時代」は、過去のものなのでしょうか、これからも訪れる可能性があるのでしょうか。想像し難いですが、後者の可能性を完全に否定することはできません。

 アントニオは盗まれた自転車を、それもバラバラに分解されてしまっているかもしれない自転車を探すのですが、どう考えても見つかる可能性はほとんどありません。しかし探している間、アントニオの胸中には「見つかるのではないか」という淡い希望が絶えず揺らめいていたはずです。しかし酷なもので、希望的観測や願望というものが現実のものとなることはありません。絶望した瞬間、アントニオの目に映っていた景色は今までとは全く別の景色に見えたのでしょう。

 犯罪被害者の心理がよく描かれた作品です。人の財物を奪う犯罪者にこそ観てもらいたいものです。

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2件のフィードバック

  1. 救いがなく終わってしまうんですか?悲しい、、

  2. そうなんです。救いはありません。今って幸せな時代なんだなと思います。

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