ブラピになる方法が分かりました。 [ファイト・クラブ]

 1997年 アメリカ

コンテンツ

あらすじ

 男(名前は最後まで語られない)は、自動車会社の社員として働いていた。彼の住む高級マンションにはこだわりの北欧家具が並んでいた。男は不眠で悩んでいた。しかし医師は薬を処方してくれなかった。男は辛くて我慢できないと訴えたが、本当の辛さを知りたかったら睾丸がん患者の会に行ってみるといいと諭された。

 意味も分からないまま男は医師の言葉に従い患者の会に行った。そこで他の参加者と抱き合って泣き叫んでいるうちに解放感からかよく眠れるようになった。それが癖になった男は病気でもないのにいろいろな患者の会に参加するようになった。いつの頃からか男の行く先々に見知らぬ女が現れるようになった。男はその女に自分のやましいところを見透かされているような気がして、再び不眠症になってしまった。

 ある日、男は出張から戻る機中でタイラー・ダーデンという男と隣り合わせになった。タイラーはみんな物欲主義に洗脳されている、全てを捨ててどん底に落ちてこそ初めて”生”を実感できるという変わった主義に持ち主だった。自分とは正反対の性格のタイラーを気に入った男は連絡先を交わした。

 男が出張から帰宅すると自分の部屋が燃えていた。突然戻る場所を失った男はついさっき出会ったばかりのタイラーに助けを求め、彼の住処に身を寄せることにした。そこは、すでに取り壊しが決まった廃屋だった。水も止められ電力も不十分な薄汚い廃屋でのタイラーと男の奇妙な2人暮らしが始まった。

 2人は平日はそれぞれの職場に働きに行き、週末はバーの裏で殴り合いをした。なぜ殴り合うのか?タイラーによれば、そうすることで社会の呪縛から逃れ”生”を実感できるからだ。徐々に見物人が増えていき参加を志願する者も出てきた。やがて殴り合いは”ファイトクラブ”と名付けられ、バーの地下で夜な夜な試合が行われるようになった。タイラーはそのリーダーとしてクラブを仕切った。彼の大胆で豪快な性格そしてカリスマ性に感化された男の価値観や道徳観は日に日に変化していった。

 クラブのメンバーが増えると、タイラーはその中から選抜したメンバーを「スペースモンキーズ」として組織化しメイヘム(騒乱)計画を企て始めた。男が尋ねてもタイラーや「スペースモンキーズ」のメンバー達はルールだと言って計画について口を開こうとしなかった。男は自分に相談もなく計画を進めるタイラーに苛立ちを感じた。

 ある日、タイラーが姿を消した。男はタイラーの残した航空券から彼の足取りを追った。男は行き先々でファイトクラブの支部の存在を感じた。しかし肝心なタイラーとは行き違い続きで会えなかった。そんなとき訪れたある支部のメンバーから男は驚くべき事実を知らされた。「あなたがタイラー・ダーデンだ」と。

 なんと男の潜在意識下の理想像がタイラー・ダーデンであり、男が寝ている(と思い込んでいる)間、男はタイラー・ダーデンとして活躍していたのだ。そのタイラーが企てていたメイヘム計画とは、金融機関のビルを同時に爆破し、人々の借金を全て帳消しにするというものだということを男は知った。無自覚のうちに自分が大掛かりな犯罪計画を指揮していることに気付いた男は必死で計画を阻止しようとした。しかし計画の準備は、想像を遥かに超える大規模組織に成長していた「スペースモンキーズ」によって着々と進められていた。男はもう一人の自分~タイラー~が企てた犯罪計画を阻止することができるのだろうか。

クリックするとラストが表示されます(ネタバレ注意!)
 「スペースモンキーズ」のアジトのビルで計画を進めようとするタイラーとそれを阻止しようとする男との間で闘いが始まった。しかしタイラーに勝てるわけがなかった。最後の手段に出た男は銃を口に突っ込むと引き金を引いた。男と共にタイラーも頭に銃槍を負った。それでタイラーは死んだが、男はなぜか生きていた。
 そこへ「スペースモンキーズ」のメンバーがやってきた。
 メンバーは顔面を銃で撃っているのに生きている男に感心した。
 男が「これからはもっと良くなっていく」と言うと、ビル群の爆破が始まった。

感想

 解離性障害の男の話です。解離性障害の場合、どちらが本当の人格と言うのか私には専門的なことは分かりませんが、この話では強いストレスを感じた男に、潜在的な理想像であるタイラーという、いわば”副人格”が芽生えたという設定になっています。副人格が冴えない感じだったら良かったのでしょうが、残念ながら男の副人格は優れたカリスマ性と実行力を持ち合わせていたがために大ごとになってしまいました。

 原作の出来がいいせいか(読んでいませんが)、ストーリーはなかなか面白いですが、特に最初の方は、メメントぽく細切れに時間軸を遡る展開になるので、事情が飲み込みづらく劇場で観ると脳みそを酷使されるパターンです。

 ブラッド・ピットがひたすらかっこいい映画でした。私は主人公のエドワード・ノートンもいいと思いますが、やはりブラピには”華”があります。

 余談ですが、この映画にはサブリミナルが使われています。最後に肌色一色のシーンが一瞬挿入されているのですが、コマで見ると「あっ」でした。まあ少し狙い過ぎですね。

シェアする

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

コメントする