パラダイスに行ったはずなのに…… [パラダイス:愛]

2012 オーストリア

コンテンツ

あらすじ

 障害者施設で働く熟年女性テレサは、姉のアンナの家に娘を預けケニアに独り旅立った。

 現地では、黒人の若い男達が海岸のホテルに滞在する白人女性達に群がり、物を売ったり、身体を売ったりしていた。テレサも現地で知り合った女性に促されるがままに現地の若者とのアバンチュールにトライするが、愛がない身体だけのセックスへの拒否反応でうまくいかなかった。

 異国でのロマンス体験が期待はずれだったテレサは、帰国までの日をひとりでゆっくり過ごすことにした。しかしホテルから出れば若い男達が次から次へと近寄ってきた。そんな”たかり連中”にうんざりしていたテレサは、対価を求めず、ただ自分に優しくしてくれるムンガという名の若者と知り合った。初めは猫をかぶっているのではと用心していたテレサだったが、誠実なムンガにほのかな恋心が芽生え、逢瀬を重ねるようになった。

 数日後、ムンガは自分の妹や従兄弟のところへテレサを連れていった。そして行く先々で、お金が無くて困っているから、お金をあげて欲しいと彼女に頼むのだ。テレサは持ち合わせていたお金を渡すが、感謝されるどころか、少ないと不平を言われる始末だった。そして、さんざん金を払わせるとムンガは姿を消してしまった。

 ムンガにいいようにされたと落ち込み浜辺を歩くテレサに、サマラという若者が近づいてきた。サマラもまたテレサに何かを求めるわけではなく、ただ彼女のことをキレイだと褒めちぎった。テレサは次こそはとサマラと関係を持ったが、その直後、またしても、サマラから兄が事故になって治療費が必要だと金を無心されてしまった。

 二度の失恋で自暴自棄になったテレサは、ホテルのバーテンの若者を部屋に連れ込んだ。しかしベッド・インして誘っても、その若者にセックスを拒否されてしまうのだった。

 テレサは帰りの日までケニアの浜辺で独り寂しく過ごした。

感想

パラダイス3部作の第1作です。

(第1作である本作の主人公はテレサ。第2作「神」の主人公はテレサの姉のアンナ。第3作「希望」の主人公はテレサの娘メリです。)

 テレサは(失礼ながら)中年太りした容貌も百人並みの熟年女性です。ケニアへの旅行が買春目的だったのか、観光目的でたまたま現地で買春を知ったのか、作中からはよく分かりませんでした。しかし、ヨーロッパ女性が現地の若い男目的のためアフリカを訪問することは珍しいことではないようですので、前者なのかも知れません(Wikipediaでもそう解説されていました)。ヨーロッパの人って人権とかそういうのにうるさそうなのに意外ですね。

 当初テレサは自分にまだ女性としての魅力が残っていて、愛してくれる男がいるのではないかという淡い期待があったのかも知れませんが、無残にもその期待は裏切られます。それどころか、身体だけの関係を持つことさえも拒絶されてしまいます。女性として身も心も否定されてしまったテレサは深く傷つきます。本作は、そんなテレサを、感傷的に寄り添うわけでもなく、かといって批判的に突き放すわけでもなく、音楽もなくただ淡々と描いています。

 男女を問わず、男としてまた女としての人生の終わりは、残念ながら大抵人生の途中に訪れるのだと考えさせられました。その後?その後は男でも女でもなくある種ユニセクシャルな存在へと進化するのです。多分。

シェアする

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

コメントする