「自分で決めること」ことこそが大切 [サイダーハウス・ルール]

1999年 アメリカ

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あらすじ

 セント・クラウズにある孤児院。孤児院の産科医ラーチは、ホーマー・ウエルズと名付けた孤児にとりわけ愛情を注いでいた。ホーマーは二度引き取られるが、いずれも里親から返されてしまった。やがて成長したホーマーは、ラーチの手ほどきで産科医としての知識と技術を取得し、彼の片腕として孤児院で働くようになった。

 1943年当時はまだ堕胎が完全に違法だったが、必要悪と考えていたラーチは密かに堕胎手術も行っていた。ホーマーは彼の考えに反対だった。

 そんなある日、若いカップルが堕胎のために孤児院を訪れた。男の名はウォーリー、女の名はキャンディといった。キャンディの手術後、ホーマーは彼らに一緒に連れて行って欲しいと頼み、生まれ育った孤児院を去ることを決意した。ホーマーの中で育ちつつあった自我が、孤児院の外のまだ見ぬ広い世界へと彼を駆り立てたのだ。ラーチはホーマーの旅立ちを惜しんだが、お前には心臓に持病があるから気をつけなさいという忠告とともに彼の心臓のX線フィルムを手渡し、見送った。

 ホーマーはウォーリーの実家のリンゴ農園でMr.ローズことアーサーが率いる黒人の季節労働者達と一緒に働き始めた。ホーマーは彼らと一緒に「サイダーハウス」と呼ばれていた季節労働者向けの小屋で寝泊まりし、りんごを収穫したり、りんごを使ったサイダーを作ったりした。

 間もなくウォーリーは志願して第二次世界大戦の真っ只中、ビルマ戦線へと出立した。ラーチから心臓の持病があると言われていたホーマーはそのまま農場に残った。ウォーリーがいなくなって間もなく、ホーマーはキャンディと関係を持った。キャンディは寂しさを紛らわせたかっただけだったが、ホーマーにとっては初めての恋心だった。

 ホーマーはラーチから孤児院に戻って跡を継いでもらいたいという手紙を受け取っていたが、彼にその気はなかった。

 翌年の収穫期を迎えMr.ローズ達がサイダーハウスに戻ってきた。しかし、アーサーの娘のローズの様子がおかしかった。ホーマーは彼女が妊娠しているとすぐに勘付いた。彼女は赤ちゃんの父親が誰か打ち明けようとしなかったが、やがて彼女の口から驚くべき真相が明かされた。赤ちゃんの父親は彼女の父アーサーだったのだ。ホーマーがアーサーに娘と関係を持っていたのか問い質すと、彼は娘を愛していると胸の内を明かした。ホーマーから彼女の妊娠を知らされると、彼はショックを隠さなかった。

 ホーマーは悩んだ末に、ローズのためにそれまで頑なに受け入れることを拒んでいた堕胎手術を行うことにした。ホーマーはサイダーハウスでアーサーを助手にして手術した。

手術は無事終わった。罪悪感に苛まれたアーサーはボスの座を他の者に譲る決意をした。

 ホーマーは、それまでさして気にも留めなかった壁に貼られた紙切れに目をやった。それはサイダーハウスでの規則を書き並べたものだったが、その内容は実にくだらないものだった。おまけに季節労働者たちは全員文盲だったので、誰一人としてその内容を知っている者はいなかった。ホーマーはアーサーの「ここに住んだことがない人間が作ったルールに従うのではなく、自分達がルールを作るべきなんだ」という言葉に賛成だった。

 ウォーリーは戦場で重傷を負い、下半身不随となって帰還するとの知らせが入った。これはホーマーとキャンディーの束の間の恋物語の終わりを意味していた。デートをした野外シアターで2人は別れを惜しんだ。

 農場ではローズが行方不明になり大騒ぎになっていた。そしてアーサーが刺され倒れていた。彼によれば、ローズが独りサイダーハウスから出て行こうとする気配に気づき、彼女に護身用のナイフをたむけに渡そうとしたら、誤解されて刺されてしまったとのことだった。さらに彼は娘が傷害罪に問われぬよう、自分で自分を刺したというのだ。アーサーはホーマーに、警察には「娘が去ったショックで自殺した」と言って欲しいと頼むと息を引き取った。

 孤児院からホーマーのところへ手紙が届いた。ラーチがエーテルを過剰に吸入するという「事故」で亡くなったという訃報だった。

 結局ホーマーは孤児院に戻った。ホーマーの帰還を喜ぶ子供たちがホーマーのカバンの中から、ラーチから渡されたX線フィルムを勝手に取り出した。偶然それを見た古参の看護師から、ホーマーは隠された事実を知らされるのだった。

クリックするとラストが表示されます(ネタバレ注意!)
 そのX線写真は心臓病で死んだ別の子供のものだった。ラーチはホーマーが徴兵されないよう持病があるとでっちあげていたのだ。

感想

 主役は、後にスパイダーマンの主演トビー・マグワイア。目が印象的です。

 タイトルで損していると思います。「サイダーハウスルール」、一見してもなんのことは分かりませんね。物語が始まってからしばらくしてようやく季節労働者向けの小屋のルールであることが明かされ、さらにそこに込められたメッセージは終盤になるまで明かされないので、結局のところ最後まで鑑賞して「なるほど、そういうことだったのか」と思わせる仕掛けになっています。

 こういう手法は、タイトルがいわゆる「パワーワード」だとビューワーの興味を引いて観たいと思わせるし、さらに実際に鑑賞したときにそのタイトルに込められたメッセージを知って、「なるほどの伏線回収」と鳥肌立たせることができればすごく効果的ですが、「サイダーハウスルール」と聞いて「何々?」って感じにならないので、そこが少し残念です。ジョン・アーヴィングの小説を原作としているので仕方がないところなのでしょう。

 長々とタイトルに難癖をつけましたが、それはこの作品を擁護するためです。この物語の舞台となっている1940年代のアメリカは、まだ堕胎は違法であり、1973年に最高裁判所がロー対ウェイド事件で人工妊娠中絶を禁止する法が違憲であると判示するまでは、非合法で行われていました。法的にも道徳的にも中絶は許されないと思いながらも、望まぬ妊娠をする女性がいる以上、彼女らを救うために必要悪として中絶手術をしていたラーチ医師の苦悩は大変なものだったでしょう。そういった負の側面に悩みながらも、ラーチ医師は多くの孤児の命を救ってきたことへの誇りがあったので、寵愛していたホーマーに跡を継いでもらいたいと考えたのは、子が親の後を継ぐのが当然の当時、ごく自然なものだったんでしょうね。

 ホーマーはラーチ医師の元から飛び立ってしまうのですが、親が敷いてくれたレールに乗ることに拒否反応を示すのは、いつの時代も同じですし、自我が芽生え健全に成長している証です。そして様々な経験をして社会の中での自分の立ち位置を把握し、最終的には暗示にかけられていたように親が敷いてくれたレールに自分から乗っかる、これも時代を超えた不変のパターンです。結局のところ、往々にして予定調和的な進路になってしまうわけですが、「レールに乗らされた」のと「レールに乗った」とでは、自分の進路への納得感が全然違うので、一見同じようでも雲泥の差があります。「サイダーハウスルール」に込められたメッセージは、自分のことは自分が決めなければならないということに気づいたとき、若者は少年期から青年期へと脱皮するのだ、ということなんだろうと私は思います。

 ラストで、ホーマーはラーチ医師の自分への愛情の深さを知るのですが、私の脳裏には「孝行したいときに親はなし」という言葉が浮かびましたよ。

 一人の若者の多感な青春期を追体験できる名作です。

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