Category: ドラマ

アーティストは表現し続ける。なぜならアーティストだから。 [ペルシャ猫を誰も知らない]

 イランでインディーズロックを演っている若きミュージシャン、アシュカンとネガルは自由に演奏活動できない母国を捨て、国外に活動の場を見つけようとしていた。知り合いのレコーディングエンジニアのババクに相談しナデルという男を紹介してもらう。ナデルは乗り気でなかったが、デモテープを聴いて2人に才能を感じ、希望を叶えるために協力することにした。
 その日から、ナデルの御膳立てで2人の海外での活動準備が始まった。偽造パスポートの手配、バンドメンバーの人選、渡航前の国内ライブの許可の申請など、イラン当局の規制に邪魔されながらも、計画は着々と進められた。
 しかし最後に不運が訪れた。計画の要となる偽造パスポートのブローカーが警察に逮捕されてしまったのだ。その事実を最初に知ったナデルは、強いショックと自責の念にかられ、行方をくらませてしまった。
 一方、そんなことを知らないアシュカンとネガルは、ネガルと連絡がとれなくなったことに一抹の不安を感じながら、間もなく実現する海外での音楽活動に夢を膨らませながら、最後のライブの準備を進めていた。
 ライブ当日、アシュカンのところへネガルの行方がわかったとの知らせが入る。アシュカンとネガルは、その場所へ急行するが……。

自分を責め続けることでしか、自分を赦すことができない [マンチェスター・バイ・ザ・シー]

 ボストンで便利屋として独り働くリー・チャンドラー。家の修繕、雪かき、ゴミ捨てを繰り返す毎日。そんなリーの元へ故郷マンチェスターの病院から電話が入る。兄のジョーが亡くなったのだ。 ジョーは鬱血性心不全で余命が5~10年と診断されていた。目立った症状がないまま進行し、やがて突然死が訪れる病気だった。そして遂に最後の時が訪れたのだ。
 知らせを受け、リーはずっと避けていた雪解け間近の故郷を訪れた。そして、残された一人息子のパトリックにジョーの死を告げる。最後に見た時、まだ幼かったパトリックは高校生になっていた。
 ジョーの遺言を弁護士から知らされたリーは動揺した。ジョーはリーが故郷に戻ってくることを前提としてパトリックの後見人に指名していたのだ。リーはこれに強く抵抗した。故郷に帰れない理由があったのだ。
 かつてリーも故郷で妻と3人の子供と暮らしていた。しかしまだ若かったリーは、ドラッグや酒をやりながら仲間たちと馬鹿騒ぎをする生活を止められなかった。ある日、いつものように馬鹿騒ぎをした後、火の不始末で火事を起こしてしまい3人の子供を焼死させてしまった。なんとか逃げ出した妻からは激しく罵倒された。取り返しのつかない過ちを犯したリーは故郷を去ったのだった。
 パトリックにボストンに引っ越すよう提案するが、故郷を離れることを拒絶される。ジョーも故郷に戻るつもりはない。しかしながら世話になったジョーの息子を見捨てるわけにもいかない。雪解けが始まり春が訪れる前に、リーは打開策を見つけることができるのだろうか。

若者は「不可能」という言葉の意味を信じない [君を想って海をゆく]

 イラクからロンドンへ一家で亡命した恋人ミナを追いかけてイラクを脱出し、3ヶ月歩き続けてフランスのドーバー海峡沿いの街カレまで辿り着いた青年ビラル。カレにはビラルと同じようにイギリスへ密入国するために多くのイラク人が滞在していた。ビラルは仲間とともにトラックの荷台に潜伏してイギリス入国を試みるが、失敗に終わり逮捕される。

「生ききった」と思いながらこの世を去りたい [幸せなひとりぼっち]

 人は皆、いずれ老い、天寿を全うする。目の前にいる老人も、かつて赤ん坊であったり若者だったときも当然あったはずなのに、年下の者は視覚に惑わされ、そのことを忘れてしまいがちだ。この作品ではオーヴエという一人の老人の半生を垣間見ることで、そのことを思い出させてくれる。オーヴエの人生を俯瞰すると幸せな時期よりも不幸な時期の方が多い。しかしオーヴエ自身はとても幸せな人生だと思いながら、この世を去ったことだろう。ラストを観ればその理由はわかる。しかし敢えてここでは書かない。是非皆さんの目で確かめて欲しい。
 そうそう、老人ホームでまるで幼稚園のように絵を描かせたりしているのを見ると、人生を経験してきた先人を蔑んでいるようにしか思えない。私がホームに入らざるをえなくなる頃には、日中は個室で映画鑑賞など好きなように過ごさせてもらい、夕方からは酒が飲めるバーがあるようなホームができていて欲しいものだ。そんなヤツはホームに入る必要がない?確かに一理あるが孤独死はイヤだなと思うのだ。将来AppleWatchに孤独死お知らせ機能がついていれば、そんな心配とも無縁になるが。

結婚という陰謀 [エレナの惑い]

 エレナは息子のセルゲイを援助をしてやってほしいとウラジミルに頼むが、息子に甘すぎると拒絶される。確かにセルゲイは妻や子供を養わなければならないのに働こうとしない。それでもエレナは息子が可愛いし、孫にも立派に育って欲しかったので、資産家のウラジミルから援助を受けられなくとも、自分の年金を与えていた。
 結婚とは怖いものだ。ほぼもれなく結婚相手の血族や親族もついてくるからだ。さらに熟年同士の結婚は、若い頃のそれとは違ってお互いの社会的地位がほぼ確定しているから、さらに打算的になりがちだ。特に経済的格差がある場合、持っている側は自分が一方的に奪われる立場にあることに注意し、覚悟しなければならない。そんな教訓を得ることができる作品だ。
 冒頭シーンは、ただ静寂に包まれるマンションの風景を撮影しているだけなのに、とても雰囲気がある。加えて、あえてドアの音や足音といった生活音を目立たせる音声バランスも、どこか冷め得た夫婦生活を感じさせ秀悦だ。
 これから結婚しようとする若者は観ない方がいいと思うが、再婚を考えている中年以上の方々は是非観ることをお勧めする。ひょっとしたら結婚熱が急激に冷めるかも知れない。
 NHKインターナショナルフィルムメーカーアワードがスポンサーをしている。なんだろうと思って調べてみたら、有能な映像作家の発掘と支援を行っている賞とのこと。こういった芸術支援活動は大いに賛成(作品に口出しをしないことが条件)だが、その前に受信料金を下げるべきではないか。mo

どうします?犬のこと大好きになっちゃいますよ [僕のワンダフル・ライフ]

 愛犬がいれば抱きしめたくなってしまうこと必死。犬を飼いたいなと思っていた人は翌日には犬を新しい家族として迎え入れてしまうかも知れない。そんな作品だ。犬の一生は短く、その10歳は人間の年齢にすると55歳くらいだと言われる。イーサンが少年から老年になるまでの間に、ベイリーは何度も転生輪廻(なぜか犬にしかならないが)を繰り返し、そして最後にずっと大好きだったイーサンと再会を果たすというストーリーは斬新。そして、「吾輩は猫である」よろしく犬の一人称視点も非常に効果的。犬好きから犬嫌いまで是非観て欲しい。そして犬を飼おうと思って人は、できればペットショップではなく、シェルターに行って保護犬を引き取ってもらいたい。うちもシェルターから譲ってもらった犬を飼っているけど、本当に利口(したたかでもある)で可愛い相棒だ。この作品を観て、こいつも昔私が飼っていた犬の生まれ変わりかもと、随分前に旅立ったその犬の名で呼んでみたところ、ちょっと意味深な表情で振り向いた

80年代サブカル映画の完成形 [ストレンジャー・ザン・パラダイス]

  ジム・ジャームッシュの出世作であり、映画史に残る名作です。
 その理由は、ストーリーではなく、そのスタイルです。
 全編モノクロ(それも粒子が荒い)映像で綴られていますが、この作品が作られた1984年は、当然カラー映像が主流であり、モノクロ映像はむしろ古臭くて敬遠されていた時代です。そういった時代において、敢えてモノクロ、そして敢えてノスタルジックな字幕や音楽を使っているあたりが、当時は斬新かつスタイリッシュだと評価されたのです。あれからさらに30年近いときが過ぎたデジタル全盛時代の今、銀塩写真やモノクロ写真への懐古趣味が若い世代を中心に復活してきています。この作品が再評価される日も遠くないかも知れません。
 そして登場人物のデカダンス(退廃的)なライフスタイルも魅力的です。誰ひとりとして、健康で長生きしようなんて真っ直ぐで計画的な生き方をしていません。ニコチンとタールの匂いがあちこちにこびりついていた時代、そんな80年代を思い出させてくれます。