自分の身に何が起こっても、「自己責任」と自分に言えますか? [私は、ダニエル・ブレイク]
2016年 イギリス・フランス
あらすじ
ダニエル・ブレイクは、最愛の妻に先立たれながらも、40年間大工一筋で頑張ってきたが、心臓発作を起こし、医師から仕事をすることを禁じられてしまった。
当然支援手当を受給できるものと考えていたが、予想に反して就業可能と判定され、不支給となってしまった。納得できないブレイクは政府が審査を委託している民間企業に問い合わせるが、はぐらかされるばかりでラチがあかなかった。
止むを得ず職安に求職者手当を申請しようとしたが、こちらも運営を民間企業に委託しているため杓子定規の対応だった。そのときブレイクは、別の窓口で同じように憤っていた2人の子連れの女性ケイティと出会った。
ケイティは家を失い、ホームレス用の施設にいたが、施設の環境に子供がストレスを感じていたため古いアパートに引っ越してきたばかりだった。荒廃したアパートを見かねたブイレクは修繕を受け合った。それから彼はケイティの子供の面倒を見てやったりするようになった。必死に子供達を育てようとしているケイティを応援したかったのだ。
しかしお金に困って追い詰められたケイティは売春に手を染めるようになった。そのことを知ったブレイクは考え直すよう説得したものの妙案があるわけでもなかった。なぜならブレイク自身もケイティと同じく崖っぷちで、家財道具も売り払わざるをえない状態だったからだ。求職者手当の受給のために職安に行っても求職活動が不十分等とケチをつけられた。元々は働けないから支援手当を受給するはずだったのに、それが却下されたために止むを得ず求職者手当を頼ろうとしていたのだ。堂々巡りに陥った彼はやり場のない憤りを感じた。
ある日、ブレイクはケイティの勧めで支援手当受給のための支援団体を頼ることにした。面接のために団体の事務所に赴いたブレイクの心中に希望が芽生えたが……。
感想
イギリスはサッチャー政権下で「小さい政府」を志向し国営企業の民営化を積極的に進めた国です。この映画の主題は、その政策に対するアンチテーゼだと思います。
今や公務の民営化は世界中で広がっており、日本も例外ではありません。
それとともに、いつの頃からか「自己責任」という風潮が強まってきているように感じます。確かに個々が他力本願ではなく自立するのが大原則だと思いますが、予期せぬ事情で自立できなくなった人に対してこの言葉を突きつけるのは酷だと思います。共助の精神が不要であれば「国家」などの存在意義自体がないと私は思います。
人生は何が起きるかわかりません。皆、自分だけは大丈夫と思っていますが一種の錯覚です(正常性バイアスとも)。もし、自分の身に不測の出来事が降りかかったとしても、なお「自己責任」と自分に言い聞かせることができるという確信を持てる人以外は、無闇にこの言葉を使うべきではない、そんなことを考えさせられました。
そうそう、民営化で思うのですが、水道だけはやめてほしいですね。「ウォーターバロン」に生きていくために必要な水を奪われるのは勘弁してほしいです。
なお本作の舞台となったニューカッスルですが、昔ながらのイギリスらしい街並みですね(下のストリートビューはニューカッスル城付近です。こんなに小径のロータリー初めて見ました)。
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