2014年 イギリス
1970年代。ジョンは、イングランド北部のちっぽけな田舎町バーンズワースの高校生だった。内気で変人扱いされていた彼には友達もいなかった。人生に夢も希望もなかった。卒業したら就職して一生働き続ける人生のレールが当たり前のように敷かれていた。彼の隠れた趣味は落書きだった。実は町のど真ん中の壁に書かれた「バーンズワースはクソ」も彼の作品だった。
ある日、普段は近寄らないダンスホールに入り込んだジョンは、フロアの中央でソウルダンスを踊るマットと知り合った。彼は親元を離れポールという名の年上のルームメイトと暮らしていた。そんな大人びたマットにあっという間に感化されたジョンはソウルダンスに夢中になった。マットの夢は町を出てソウルの本場アメリカへ行くことだった。それを聴いたその日からジョンの同じ夢を抱いた。
マットと行動を共にするようになってからジョンの毎日は一変した。学校も家族も投げ出しソウルダンスにのめり込んでいった。
時代遅れの町のダンスホールに我慢できなくなった2人は好きなだけソウルを鳴らせる自分達のダンスホールが欲しくなった。まだ未成年の2人では契約できなかったので、ポールに頼もうとした。しかし運悪くポールはドラッグで逮捕されてしまった。
ちょうどその頃、ジョンは勤務先の工場でショーンという男と知り合った。彼も熱狂的なソウルマニアだった。ジョンはショーンとすぐに意気投合したが、マットはショーンと距離を置きたがった。彼は今まで自分を慕っていたジョンがショーンと意気投合したのが面白くなかったのだ。
2人はショーンに毎晩のようにあちこちのダンスホールへ連れて行ってもらった。ショーンはドラッグの売人もやっていた。だから外で軽々しくドラッグの話をするマットが気に食わなかった。ドラッグが付き物のダンスホールは私服警官にマークされていたのだ。
ポールが刑務所から出てくる目処が立たない中で、ジョンはショーンと組んでダンスホールを借りる契約をした。店は初日から盛況だった。興奮したマットは客たちに店が終わったら自分とジョンの住処に来るよう煽った。ショーンに言わせれば、私服警官にマークされている中で、ヤサを自分から暴露するようなマットの行いは自殺行為に等しい愚行だった。
ダンスホールから流れてきた客たちが帰った住処にショーンが転がり込んできた。警察に踏み込まれ何とか逃げてきたらしかった。マットの愚行のせいだった。すでに警察の手はジョン達の住処まで迫っていた。ジョンはショーンとともに逃走するが、2人の乗る車はトラックと正面衝突してしまいショーンは死んでしまった。
ショーンの葬儀の後、ジョンは彼が死んだのはマットの軽率な行動のせいだと批判した。2人はそのまま決別した。
しばらくして、ジョンはマットが夜間工事現場で働いていることを知って会いに行くが、彼の態度はすげなく、追い返されてしまった。
2人の関係はそれでおしまいだと思われたが…。
「ノーザン・ソウル」とは1970年代にイギリスの労働者階級の若者たちが熱狂した音楽ムーブメントのことらしいです。アメリカのソウル・ミュージックの中でもメインストリームというよりもどちらかといえばマニアック系でアップテンポのものが受けたとのことで、きっとこの時代を過ごしたイギリス人には刺さるんでしょうね。そんな時代背景を知らないと、ちょっと置いてけぼり感が否めない部分があります。「当時は女性もダンスフロアで性差別廃止を訴えていたのに、そのことが描かれていないのが残念」という感想(https://socialistworker.co.uk/socialist-review-archive/northern-soul/#)もあるようですが、青春映画にそこまで詰め込むのは無理かなと個人的には思います。そう、本作は「ノーザン・ソウル」でコーティングされた青春映画であって、決して「ノーザン・ソウル」というムーブメントを描いたものではないのです。
青春映画だからと一概に言えませんが、当時の社会風俗、登場人物の掘り下げも中途半端な感じで深みが感じられませんでした。
個人的には青春映画でコーティングされた「ノーザン・ソウル」を描いた方が価値ある一作になったのにと思いましたよ。
それにしても、本作では若者達が宝物探しのようにレコードを漁るシーンが何度か描かれています。私は懐かしく感じましたが、音楽はサブスクで聴き放題世代の人たちには謎の光景にしか見えないでしょうね。
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