Categories: 絶望するラスト

貧困しか知らずに生まれ、育ち、短い人生を終える [忘れられた人々]

1950年 メキシコ

コンテンツ

あらすじ

 1940年代のメキシコシティ。感化院(少年保護施設)を脱走した不良少年のリーダー格のハイボは、仲間たちがたむろしている広場へ戻ると、年下のペドロにフリオンを連れて来るよう命じた。自分が感化院に収容されたのは、フリオンが密告したせいだと恨んでいたのだ。ペドロが命じられたとおりフリオンを連れて行くと、ハイボは背後から彼を容赦無く殴打した。思い知らせてやったと意気揚々に立ち去ったハイボだったが、間もなくフリオンがそのまま死んでしまったことを知った。さすがにやばいと思ったハイボはお前も共犯だとペドロを脅しきつく口止めした。

 育った環境のせいでたまたま不良仲間とつるんでいたペドロだったが、彼はまだ少年の純真を失っていなかった。このままでは刑務所行きになり、大好きな母親と一緒に暮らせなくなると思ったペドロは改心し、鍛冶屋の見習いとして働き始めることにした。しかし彼の母親の方といえば、すでに息子を見限っていて、彼の決意を信じることができなかった。

 真面目に働くペドロが工房で留守番をしていると、警察から容疑者として追われ身を隠していたハイボが姿を現れた。彼はペドロが密告していないことを確かめにきたのだが、もののついでとハイポが気づかないうちに台の上にあった作りたてのナイフを盗んでいった。自分の留守の間にハイボが来たことなど知らぬ鍛冶屋の主人はナイフがなくなっていることに気づくと、ペドロの仕業だと思い込んだ。警察から事の次第を聞いたペドロの母親すら、彼の犯行だと信じて疑わなかった。そしてやがて帰って来たペドロを感化院に引き渡してしまった。

 感化院の所長は少年たちに対して寛大で更生の可能性を信じており、ペドロに対しても同じ態度で接した。所長は、自分が正しいことができる人間であることをペドロに自覚させるために、ペドロに大金を渡して施設の外の店まで行ってタバコを買ってくるようお使いを頼んだ。ペドロは所長の信頼に答えようと店に向かうが、そこで待ち伏せしていたハイボに捕まってしまい所長から預かった金を奪われてしまった。ペドロは金を取り返すために広場にいるハイボのところまで行き、取っ組み合いまでしたが力に勝るハイボに勝てるはずもなかった。手ぶらで感化院に戻るわけにもいかず、行くあてもなくなったペドロは一夜を明かすために不良仲間の家の納屋に忍び込んだ。しかし偶然にも、そこで同じように寝床を求めて忍び込んでいたハイボと居合わせた。ハイボはペドロが執拗に自分を追っていると考え、容赦無く暴行を加えた。そして命乞いも虚しくペドロは絶命した。騒ぎに気づいた家人はペドロの遺体を見つけると、警察沙汰に巻き込まれることを恐れ、人目につかないところへ遺棄しようと彼の亡骸を袋に入れロバに乗せて家を出た。その道すがら、我が子のことを信じてやれなかったことを悔やみながら町中を探し歩くペドロの母親とすれ違うが、まさかロバに乗せられた袋の中に息子の亡骸があるとは知るよしもなかった。それが親子の最後の交わりだった。夜明け前、ペドロの遺体は人里離れた場所でゴミ同然に投げ捨てられてしまった。

感想

 実際に起きた事件を通じて大都市の貧困層の子供たちの世界を描いた作品。

 あらすじはかなり端折っていて、実際には85分という短い尺の中で様々な人物が登場しますが、妙を得た演出で迷子になることなく作品世界に入り込めます。”感化院”は「もと、非行少年や非行少女の保護・教化の目的で設けられた施設。少年教護院・教護院を経て、現在は児童自立支援施設と改称」(デジタル大辞泉)というもので、刑務所や少年院と違い開放施設となっているとのことで、故にペドロもお使いに出ることができたわけです。

 経済的に貧しく養わなければならない子供が多い家では、我が子であっても十分に目配り、心配りをする余裕がなく、食い扶持を稼がず悪さばかりしている子供を見限り見捨ててしまいがちなのは古今東西共通のことでしょう。戦後間もない日本でも子供が何人もいる家庭が多く、当時の様子を描いた映画や小説を読むと今では考えられないくらい育て方が雑です。

 非行の道に踏み込みながらも、改心して更生を誓ったペドロ少年でしたが、社会はおろか実の親にも信頼も支援も得られず、その思い虚しく殺されてゴミのように捨てられてしまいます。しかし、こういう時代においては彼のような無念の死は残念ながら稀ではなかったはずです。

 ルイス・ブニュエル監督は、未来の社会において貧困問題の解消を期待しながらこの作品を描いたと冒頭部分で表明しています。その未来の社会に私たちはいるわけですが、監督の願いはかなったのでしょうか。その答えは一様ではなく、私とあなたでも違うかもしれませんね。「FACTFULNESS」の著者でもあるハンス・ロスリングは統計的事実に基づいて、世界は少しずつだけれども良くなっていると言っています。水準が上がれば上がったで、新たにそれまで目を背けていた問題が気になり出すのが宿命だとすれば、何一つ問題がない完璧な社会が訪れることは永遠にないにしても、振り返れば昔より随分良くなっているということです。そうすると、実現できないことを悲観するばかりでなく、ときには先人や自分達が成し遂げたことを確認し、自分達を励ますことも大切なのでしょうね。

 ちなみに2003年にユネスコの「世界の記憶」に登録されたそうです。

 最後までお付き合いいただきありがとうございました。皆さんの感想も教えてください!
 もしよろしければ、twitterアカウント(@TBasco_JP)をフォローしてください。ツイートで更新をお知らせしています。

Basco