2016年 イギリス・アメリカ
デボラ・リップシュタットは、ホロコーストを専門とする名門エモリー大学の教授だった。
ある日、彼女は自著の中で批判したホロコースト否定論者の歴史著述家デヴィッド・アーヴィングから名誉毀損で訴えられた。それもデボラが住むアメリカではなくイギリスで。それはアーヴィングの謀略だった。イギリスではアメリカとは違い”被告”が名誉毀損の事実がないことを立証しなければならないのだ。
ホロコーストという出来事はユダヤ人が捏造したデマカセだというアーヴィングを許せなかったデボラは裁判を受けて立つことにし、ロンドンの弁護士事務所に弁護を依頼した。しかし当然自分自身の証言で正当性を主張できると思っていたデボラは、意外にも担当弁護士から本人を証言台に立たせるつもりはないと言われた。証言台に立つデボラがアーヴィングから攻撃されること防ぐための戦略だった。しかし他人に自分の命運を委ねるような生き方をしてこなかったデボラには、それが回りくどく感じ歯痒かった。
法廷でマスコミが飛びつくような出鱈目を並べるアーヴィングの先制攻撃に憤りを隠せず、自分が雇った弁護団に対して不信感を隠さなかったデボラだったが、被告人側の反対尋問で彼女の弁護団からアーヴィングに対して胸をすくような容赦無い攻撃が始まると考えが改まった。彼女は弁護団を信頼し、人生で初めて他人に自分の命運を託すことにした。
圧倒的な勝利で終わると思ったが、最終弁論の後に裁判長が意外な問いを投げかけた。「アーヴィング氏がホロコーストが無かったと真に信じていたのであれば、ホロコーストを否定したとしても、本人にとってはそれは真実であり、捏造であると認識し得ないのではないか?」
さて、判決は……。
史実に基づく話です。BBCが制作しています。いつもいい仕事をしますね。
ホロコーストという史実が存在しなかった等という主義・主張は、私たちにとっては荒唐無稽なものに思えますが、実はナチスの徹底した証拠隠滅によりそれを証明する決定的な物証は残されておらず、そこが否定論者の付け入る隙となっているとは知りませんでした。
本作は理不尽な裁判に巻き込まれ大きなストレスに苛まれる中で、優秀な人々(弁護士達)との出会いによって他人を信頼するということを初めて知ったデボラの心情をうまく描いています。法廷が中心ですが、英国の裁判制度が分からなくても迷子にならないようにうまくデフォルメしている点も評価できます。
そんな荒唐無稽な主張が裁判で認められるわけがないだろうと思う方もいるかも知れませんが、法的枠組みに事実を当てはめると意外な結論が導き出されることがあり得るものです。この裁判でアーヴィングは弁護士を雇わない本人訴訟を選択しましたが、もし腕の立つ弁護士を雇っていたとしたら、結果は変わっていたかも知れません。裁判、いや法律論というのはときに現実離れした結果を導き出すところが怖いところです。日本の裁判官は国民感情にそぐうよう、ときに法を少し無理やり拡大・縮小解釈することもありますが、それも一種のバランス感覚なのかなぁと思います。
アーヴィングはこの裁判でデボラに対して200万ドルの賠償責任を負うことになり破産、さらにその後ホロコーストを否定した罪でオーストリアで服役することになり、ようやく改心したらしいです(多分見せかけですけどね)。
テーマは非常に重いものですが、作り手の力量でストレスなく鑑賞できるエンターテイメント作品に仕上がっています。”エンターテイメント”といっても大衆受けを狙って過剰な脚色をしているという意味ではなく、重いテーマにもかかわらず気張らずに鑑賞できるように工夫されているという意味です。問題を知ってもらうためには、まずは観てもらわないと話が始まりませんので、特に社会問題をテーマとした作品では本作に限らず、この点がすごく大切だと思います。
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