2007年 アメリカ
コールは、裸一貫でビジネスの世界で成功を収めたが、離婚を4回繰り返し今は独身だった。彼は仕事中に突然吐血し、自分の会社が経営する病院に緊急搬送された。コールの「病院には個室をつくらず2人部屋にする」という効率重視の経営方針が災いし、経営者だというのに相部屋に入院することになってしまった。彼のガンはすでに全身に転移していた。
同じ部屋に入っていたのは、カーターという男だった。彼は、歴史学の教授になることを目指しながら恋人(後の妻)の妊娠を期に退学し、自動車整備工として45年間働き続け、3人の子供を育て上げた。今は妻と2人暮らしだった。彼もやはりガンで何度か入退院を繰り返していた。
闘病生活を送るうちに2人は仲良くなっていった。しかし間もなく、ともに余命がわずかであることを宣告された。
コールは、カーターが「棺桶リスト」というものを作っていることを知った。それは、死ぬまでにやっておきたいことを書き連ねたものだった。コールは「棺桶リスト」に勝手にいくつかの事柄を書き加え、どうせ死ぬのならこれらをすべてやり遂げようとカーターを誘った。
最初は乗り気でなかったカーターだったが、治療を続けるべきと説得する妻の反対を押し切ってコールとともに旅に出た。スカイダイビング、タトゥ彫り、サーキットでのレース、ピラミッド登頂……コールの財力にものを言わせプライベートジェットで2人は世界中を飛び回り、リストにあることを実現していった。
旅の途中で、コールはカーターに、離婚した妻との間に娘がいたこと、その娘の結婚した相手がろくでもないやつだったこと、裏で手を回して娘から引き離したこと、それを娘に知られてしまい、それ以来疎遠になっていること打ち明けた。カーターは「棺桶リスト」に「娘と会うこと」と書き加えたがコールはそれをリストから消すのだった。
その後も世界を飛び回り、ついには「荘厳な景色を見る」ためにヒマラヤまでやってきたが、悪天候のため頂上まで飛ぶことができなかった。そろそろ旅を終える頃だというカーターの意見で2人は帰国することにした。帰国後2人が乗った車が向かったのはお互いの家ではなく、コールの娘エミリーの家だった。カーターの差金だと気づいたコールは激昂し、「ありきたりなお涙頂戴の展開を期待していたのか、オレをその他大勢と一緒にするな」と言い捨て、帰ってしまう。。
ケンカ別れをしてからまもなく、カーターが自宅で倒れ病院に搬送された。連絡を受けたコールは急いで病院に駆けつけた。
カーターのガンは脳に転移していた。駆けつけたコールにカーターは「棺桶リストの残りは君に託す」と言い残し手術室へ運ばれた。コールはカーターの妻から手渡された、カーターがコールに充てた手紙を読んだ。そこに書かれていたのは……。
カーターの人生観は利他的であり、それが自分の思うような人生でなくとも、現状を甘んじて受け止めるしかないというある種の諦めに支配されていたのだと思います。そういう人って、周囲からは、よくわきまえた常識人に映りますが、それ故に自分自身に不誠実であり続けなければならないという内面の葛藤を抱えているものです。カーターは理性的な人物だったので、そういった葛藤の存在自体、無意識のうちに否定していたけれども、最後まで人生は自分に正直に生きるべきだという超利己的な人生観のコールとの出会いで大きく変わったんですね。
その後の展開は、冷めた目で見れば、大金持ちが金に物をいわせて此の世での名残を全てやりきってしまうという風に映ります。しかし、本作が本当に描きたかったのは、利他的に生きてきた人が自分のために生きる喜びを見い出し、利己的に生きてきた人が他人のために生きる喜びを見い出した、そして、お互いに穏やかな最期を迎えることができた、そういう最期っていいですよね!ということかなと私は思います。
人間誰しもいつかは死にますが、それがいつなのかは分かりませんよね。いつ死ぬか分かっていれば、もう少し思い切った人生設計できるのにと思うかもしれませんが、実際のところは自分の死期を知ってもこれまでの人生観や生き方を変えることはできないでしょう。それだけ私たちは現状維持バイアスに支配されているものです。だから、この作品の一番のフィクション要素は、実は余命わずかな老人が破天荒に世界中で暴れ回るところではなくて、現状維持バイアスを打ち破ったという導入部分なんだと私は思います。
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