2005年 イギリス、ドイツ
ルワンダで1994年4月5日から11日の間に起きた実話。
フツ族政府は30年間少数民族のツチ族を迫害していたが、西欧諸国の圧力でフツ族は渋々ツチ族と権力を分け合うことに合意した。国連は首都キガリに少数の平和監視のための軍を派遣していた。そういう極めて不安定な状況下にあった。
首都キガリにある技術学校では、国連軍の護衛の元、老年の神父のクリストファーと最近赴任してきたばかりのジョーが地元の子供達の教育にあたっていた。
フツ族の役人がツチ族の所在を調査するなど不穏な動きは見え隠れするものの、町は一応平穏だった。
ジョーは走るのが得意な女生徒マリーを特に目にかけていて、将来その才能を発揮させてやりたいと思っていた。
状況は、ある日突然暗転した。大統領機が撃墜されたのだ。フツ族政府筋はツチ族による暗殺だと断定し、フツ族の民兵達がナタでツチ族を襲い始めた。フツ族はツチ族のことを「ゴキブリ」と呼び、何の躊躇いもなく次々と惨殺した。
国連軍がいる学校へ救いを求めて、多くのツチ族系住民が押し寄せて来た。国連軍の責任者デロン大尉は、本部から学校を避難所としないよう命令を受けていることを理由に拒もうとするが、クリストファーの強い申し入れで、渋々受け入れることにした。間もなくマリーも難を逃れて学校へやって来た。
ツチ族を匿っていることを知ったフツ族の民兵達が学校に押し寄せてくるのにそう時間はかからなかった。民兵達と国連軍との睨み合いが始まった。
事態の打開のために、ジョーは危険を承知で街まで出かけ、知り合いのBBCの記者レイチェルにルワンダの状況を世界に報じて欲しいと頼みにいった。レイチェルは最初は関心を示さなかったが、避難民の中に欧米人も含まれていると聞き、学校へ向かうことにした。学校に戻る途中、フツ族民兵に止められたジョーとレイチェルは銃を突きつけられた。その傍らではツチ族の男がナタで執拗に叩き切られて惨殺されていた。幸運にも民兵の中にたまたま顔見知りの学校職員がいたことから、ジョー達は見逃してもらい、なんとか学校へ戻ることができた。
避難所と化した学校でレイチェルのジャーナリストとしての使命感に火がついた。彼女からなぜ避難民の救助のために武力行使しないのか追及された国連軍のデロン大尉は、いくら馬鹿みたいに思われても本部の命令に従うしかないのだと憤慨した。彼自身も自分達が置かれている理不尽な状況に苛立っていたのだ。
夜。レイチェルになぜルワンダに来たのか尋ねられたジョーは「子供の頃恵まれていたから恩返しをしたいと思ったからだ、しかし何もできない自分が不甲斐ない」と自嘲気味に語った。レイチェルも「去年ボスニアで取材していたときは、死体を見ると自分の母を連想して毎日泣いていたのに、ここではただのアフリカ人の死体としか思えないので涙が出ない、結局私たちは自分勝手なのだ」と胸の内を明かした。
翌日フランス軍がやって来た。ようやくやってきた救助隊に皆期待を膨らませたが、彼らはトラックには欧米人だけ乗せてくるよう命じられていた。レイチェルはその車で避難することにしたが、ジョーは残ることにした。
救助隊が去った後も、学校を包囲する民兵と国連軍が対峙が続いた。クリストファーもジョーも精神的に限界だった。追い打ちをかけるように国連軍に撤退命令が出された。国連軍がいなくなるということは、学校にいる避難民は皆殺しにされることに他ならなかった。
さすがのジョーも軍と一緒に撤退することにした。彼はマリーの視線に良心の呵責を覚えながら車に乗り込んだ。
一方クリストファーは、命を失うことを承知しながら己の信念を貫き避難民と共に残ることにした。
マリーの父親はデロン大尉に、避難民の総意として、フツ族に惨殺される位ならば家族として死にたいからいっそうのこと国連軍に銃殺して欲しいと懇願したが聞き入れてもらえなかった。
学校の外ではフツ族の民兵達が手ぐすねを引いて待っていた。
ルワンダにおける民族対立が招いた大量虐殺を描いた作品で、実話を元にしているそうです。この記事が当時の状況を知るのに参考になりました。
クリストファー、ジョー、国連軍のデロン大尉は立場は違えども、今まさにジェノサイドが始まる現場にいながら、それを阻止できないことに苛立ちます。クリストファーはツチ族避難民を救出するために武力行使をすべきだと主張しますが、大尉は本部からの命令に背くことはできないとこれを拒絶します。
いかなる理由があっても殺人は、ましてや集団虐殺など許される行為ではありません。1994年4月から7月までの4ヶ月で80万人のルワンダ人が虐殺されたのに、それを「集団虐殺」と断言しなかった国際社会も如何なものかと思います。
しかしルワンダ内紛の責任はどちらにあるのかという問題はそんなに簡単なものではないように思います。90年代だけを切り取ってみればツチ族はフツ族に迫害された被害者といえるので、フツ族を責めることに一見正当性があるように思えます。しかし、もう少し時間軸を広げて植民地時代まで遡れば、フツ族はツチ族から迫害されていたからです。
この映画を見てフツ族が加害者、ツチ族が被害者と安易に決めつけるのは少々早計だと思います。往々にして歴史的背景がある問題に明快な正解はないものです(もっとも、この問題の諸悪の根元は植民地支配のように思われますが)。
同じテーマの作品としてホテル・ルワンダがありますが、こちらの方が生々しく臨場感があります。多くのルワンダ内紛の被害者がスタッフとして参加していたことも、それに寄与しているのだと思います。
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