2015年 イラン
テヘランの街を走るタクシー。その運転手、実は映画監督のジャファール・パナヒだ。ダッシュボードに取り付けたカメラに車中の様子を収めている。彼のタクシーには様々な人が乗り込んでくる。彼のファンだというビデオレンタル業の男、正午までに金魚を泉に戻さなければ死んでしまうと騒ぐ老姉妹、事故で瀕死の重傷を負った男とその妻…。パナヒは途中で姪のハナを迎えに行く。まだ幼い彼女の夢は自慢の叔父のような映画監督になることだ。車中で、パナヒとハナはイランの公開できる映画の厳しい条件について語り合う。イランでは、まだ表現の自由や人権が制限されているのだ。イランの市井の人間模様を描いただけのこの作品もまた、イランでは上映が許可されなかったのだ。
最初は状況がよく飲み込めませんが、途中でこの作品の主演が監督自身であることが明かされます。脚本があるのかもしれませんが、ドキュメンタリーを見ているかのように自然です。こういった制作手法を「ゲリラ映画制作」とも言うようです。なるほど。
ゲリラ映画製作とは、超低予算、基幹要員、および利用可能なあらゆるリソース、場所、設備を使用した限られた小道具を特徴とする独立した映画制作の一形態を指します。多くの場合、シーンは警告なしに、また撮影許可を取得せずに、実際の場所ですばやく撮影されます。
Wikipedia(英語版を機械翻訳)
本作の監督は政府から20年間の映画製作禁止を命じられながらも、密かに制作を続け、自国ではなく海外で発表を続けているとのことです。表現者としての強い信念がなければできないことです。そのせいか、本作も純粋な映画というよりも、イラン政府は自国内でのたわいのない人々の日常を描いただけの作品も上映禁止とする位、不当に表現の自由を奪っているのだという、政治的アピールのために製作されているように感じました。表現の自由を勝ち取るための作品ではなく、彼が本当に表現したい作品を是非観てみたいところです。
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